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京都学園大学人文学部歴史文化学科民俗学コース
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 蛭子山の隣に愛宕山
 愛宕山とは何?ろうそくが中に入っていて、正面むかって左側面は三日月形、右側面が円(太陽?)。蛭子山の前が愛宕山?

愛宕灯籠

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旅籠町
 フィールドワークの際に通った。この道が旧山陰道だったために、昔は宿がたくさん並んでいたのかと考えた。

 古世地蔵堂のお堂の前にある長方形の石である。四面のそれぞれに地名が示されている。正面から見ると、図のように書いてあるように見える。能勢妙見(のせみょうけん)は亀岡の近くの山であり、おそらく、山中の寺である。
 江戸時代の道標が境内に残されている。右に向かっても穴太寺にはたどりつけない。学芸員さんに聞いたところ、保護のために残してあり、亀岡の城下町には未だ多く残っているそうだ。確かにこの道が多くの人に使われていたのだという痕跡を感じることができた。
(この石碑は、寺の人が作ったのか、それとも地域の人か、あるいは藩が設置を命じたのか、より良い町にするとりくみを行ったのは誰なのだろうか)
古世(こせ)地蔵堂
 平安時代の武将源頼政の守本尊を祀る。平家物語によると、頼政は、禁裏(内裏)に夜な夜な現れる鵺と呼ばれる化け物の退治を帝に命じられる。頼政は警護に向かう際に、代々家に伝わるこの地蔵に、願掛けをしたことで鵺を退治することができ、褒美として師子王という刀と領地をもらい、その領地は矢代荘と呼ばれるようになった。この話により、古世地蔵は、通常右手に錫を持っているところを、頼政の功績から矢を持った姿になったとされるが、今回は見ることができなかった。
 興味を持った場所は古世地蔵堂です。もともと鵺に悩まされていた帝がおり、武将が鵺を倒したという話しは知っていたのですが、その武将が源頼政であり、功績で師子王を賜ったことは今日初めて知りました。また、その話だけで終わっているのではなく、関連する場所が実際にあることも、初めて知りました。
 ただ、私が地蔵に詳しくないというのと、持たせている意味が違うと思うのですが、地蔵に矢を持たせるというのは、武器を持たせることになるのでは、それはいいのか、というのを少し思ってしまいます。地蔵に対しては、何となく、守ってくれるものというイメージがあるので、何かしらを倒す矢を持たせるということに興味がでました。
 別の写真ですが、稲荷山の説明の近くに旅籠町とあったので、昔、宿が多いあたりだったのだろうかと、気になりました。

大本教の神紋。
 話していただいた中には入ってはいないものだが、私はこの神紋が気になった。ぱっと見は九曜紋なのだが、よく見ると九曜ではなく十曜になっていた。千葉氏一族や伊東家の用いた満月に九曜と同様の紋を用いたのだろうか。しかし神道ならば九曜を用いそうだと自分は思う。それに十曜自体あまり見ることがない。そのため、なぜ九曜ではなく十曜を神紋として用いたのかが気になった。
選んだ写真はこの写真です。この写真の撮影場所は、亀山城本丸跡の3つの禁足地の内のまん中の禁足地手前です。なぜこの写真を選んだかというと、この頭のとれた仏像が視覚的にインパクトが有り、見てまわった中で一番わかりやすい、戦前の弾圧の象徴に思えたからです。疑問点としては、なぜ頭のみ破壊されているのか、なぜ体は無傷なのかが気になります。
  今回選んだ一枚は亀山城跡地にあった頭の欠けたご本尊です。この本尊の頭が欠けている原因としては、1936年に起こった大本弾圧事件の際に頭の部分が破壊されたのだと思われます。
 石垣の3段目より上は再修復されたものなので、この本尊も修復されて置いてあるのでしょう。
亀山城本丸の石垣(廃 城令、弾圧により破壊された石垣であり)。明智光秀が丹波平定のために築いた城で、光秀が亡くなった後、城主が転々とした後に藤堂高虎により五層の城となった。今の石垣の3分の1が明智光秀の時代につまれた石で、光秀を愛する人々によって石垣が再度つまれました。
 天守閣の石垣(亀山城の跡地)
話しでは一回壊された石垣で、組み直したと聞きました。石は大きさや形がさまざまあります。復元するときにどうやって組み立てたのか、何をもとに復元したのか。
  石垣に興味を持ちました。石垣から攻めようとする人への対策などいろいろ創意工夫されていて感心しました。石垣にも違う積み方などがあると知りました。今回は亀山城の石垣を見ただけなので、違うお城の石垣も見て、調べてみたいと思いました。
  復元された亀山城の石垣の写真を選びました。理由は、石垣再建の話を聞いて、素直にすごいと思ったからです。ただでさえ、大変な作業なのに、機械はなく、人力で行っていたのだと聞いて、この時代じゃ考えられないと思いました。だからとても大変な作業だと分っていても、荒れた亀山城石垣を復元しようとがんばった人達を尊敬します。
  なぜ、この写真が気になったのかという理由は、大本教が所有している亀山城址の石垣が、戦前の政府による弾圧で、一度は破壊されたものの、敗戦後物資が不足する中で、破壊される前の状態へと修復されたということが、とても凄いと思ったからです。
実践プロジェクトAとして城下町フィールドワークがよみがえりました。以下学生諸君のレポートです。
 
 エスペラント語の世界共通で、どこの国の人でもネイティブとかはなく、初心者でも上級者でも関係なく話せるところに惹かれました。1つの神、1つの世界、1つの言葉、これには宗教と宗教が共存し、人と人が差別することない平和な世界の実現に対する思いがこめられているという。

大本にあった石碑のエスペラント語が一番印象に残りました。説明を聞いた時に「ネイティブの人がいなく、皆が平等に話せる人工言語、初心者でも上級者の人と対等に話ができる」ということを聞いた時に、とてもいい言語だと思いました。基本的に大本にあった展示品や石垣など、興味を惹かれる物ばかりでとてもよかった。中でもこのエスペラント語にはとても惹かれました。
私が一番印象に残ったのは、石垣に刻まれた刻印です。築城する際に刻まれたものが今でも残っているのはすごいと思いました。刻印の種類で誰のものか分からないのが少し残念だと思いました。しかし、この上にお城があったと思うとすごいと感じました。
 写真で見るのとは違い、思ったより石が大きく、高くて下から見上げた時に迫力を感じたから。昔の人は機械がなく、手作業で積み上げたり、運んだりしていたと思うと、多くの労力と時間がかかっているんだなと思った。
 亀山城といえば、と聞かれると、この刻印が石を運搬したことを示すために刻んだものだ、という事を伝えるためです。それに、他の城にはなかなかないものだと思いました。
 石垣に刻まれた刻印がこんなにくっきり残っていることがすごいと思った。
ここは霊場みたいな所です。全国からの石を集めたとても神聖な場所。私がここを好きな理由は、ここが平安と豊穣を祈る所だからです。平安と豊饒は一番大切です。
 天恩郷の大銀杏 大本弾圧事件の時に、大本の建物は全て破壊されたが、この銀杏の木は明智光秀が植樹したという理由で、破却が免れたとのことです。樹齢が四百年ということでとても強い木だと思い、この写真にしました。
 水は人が生きるのに必要不可欠なもの。この井戸はかなり古いとの事だったので、もしかしたら明智光秀から松平信正の代までこの亀山城を支えてきた縁の下の力持ちだったかもしれない。
 大本天恩郷の木々。亀岡の名木となっている大銀杏や自然に魅せられました。秋の情景を大切にしていきたいという当時の出口直日の想いが現代にまで継がれている。物や建物がひしめく現代。秋の銀杏だけでなく、桜や椿等の季節の花々を未来永劫守っていかなくてはならないという気持ちがより一層強まりました。
自分の知らない寺で、少なからず本能寺が関わっていることに興味をひかれこれにしました。自分の暇があれば、もう一度ゆっくり見てみたいと思います。
 私が興味を持ったのは亀岡祭で使われる山鉾です。蛭子山の写真を選んだ理由は、この蔵にしまわれている山鉾には、三人のオランダ人が描かれた幕が張ってあって、山鉾の中でも高額なものだという説明を聞いて、どんな山鉾なのかと興味を持ち、亀岡祭で実際に山鉾を見るのが楽しみになったので、この写真を選びました。
 私が選んだのは蛭子山の写真です。大阪出身の私にとってはすごく親しみのある名前だなと勝手に思っていました。大阪ではえべっさんと呼ばれ、祀っている神社も多くあるので気になりました。一番印象に残ったので選びました。
この写真は本門寺近くの住宅街です。私の住んでいた沖縄と全く違う和の雰囲気だったし、沖縄は赤瓦の屋根やコンクリート造りの家が多く、日本家屋は少なかったので、珍しいと思い選びました。
 今日は亀岡市の過去の地図と写真を見て、歴史と文化がとても長いと思いました。いろいろな見学が終ったら、豊富な文化と歴史を研究したい。
 この堀は、亀山城のお堀で、敵に攻められた際に保津川をせき止めると、大きな堀になったそうで、亀岡の地形を利用した造りになっていて当時の人々の知恵を感じました。水が張ると瓶に見えたそうです。内堀で現在、植物園のある場所には、火薬庫があったそうです。
 なぜこの写真を選んだのかというと、自分は書道をしていて、字には興味があり印象的な字だと思い選びました。特に石のことは分からないのですが、石にこんな字が書けるのかと思いました。
新入生の城下町フィールドワークが「亀岡市民新聞」の記事になりました。
こちら
pen.jpg
026c7a0a.jpeg亀山城跡の中の島
過去に火薬庫があった場所で、周囲を堀で囲われ
水が流れているため、島状になっている。
このことから、火薬に誤って火がついても
被害を少なくし、対応しやすくなっていることがわかる。
また水の量を多くして、沈めることができるようになっていた。





272c5fbe.jpeg僕は昔からあるものに興味がありまして、
ちょっと見にくいかも知れませんが、奥に写っています。
亀山城内にある古井戸の写真です。
今は使われていないようですが、亀山城破却前からあるそうです。
ちなみに城内の水源はもちろん、ここら辺一帯の
池、湖、井戸はどの水源も湧き水で、
400年前から一度も枯れたことがないそうです。
 
886f4e5b.jpegこの階段から先は、禁足地、聖域ということで選びました。
個人的には、禁足地というのは厳かな雰囲気を感じます。






7c915602.jpeg私が天恩郷の写真を選んだ理由は
単純に天恩郷の自然崇拝な考えが
興味深いと思ったからです。
「人は生かされている」という考えは
日本で仏経よりも昔からある考えで
以前から興味があったので
コレを選びました。
 
a19b4e0f.jpeg私は古世地蔵を選びました。
源頼政が鵺退治の時に枕元に出て来たお地蔵さまを祀った所です。
平家物語がもともと好きだったが
実際に物語に出てくる所が実在すると思ってなかたので
すごく印象に残っています。
これを機に、他の物語に出てくるような所にも行ってみたいと思いました。





4b85076a.jpeg源頼政が鵺を退治する願かけとして祀られた地蔵。
弓を持っている。
平氏と戦ったことで有名な頼政さえ鵺を退治する願かけを
するということは、どんな強い人でもそれほど恐怖を感じていたのでは
と思う。化物が怖いと感じるのは今も昔も変わらないと思わされた。
 
9fc9da3a.jpeg静岡出身である為、秋葉神社には興味を惹かれる。
東京の秋葉原という地名も、焼け野原に秋葉さんを
祀ったのが由来であるそう。
青山忠重は当時火災が多発していた亀山城下を
守る為に遠江国で信仰されていた秋葉三尺坊を
勧請したそう。

04eb4804.jpeg秋葉神社です。どういった理由で秋葉三尺坊を防火の神として
あがめられるようになったのか、青山下野守忠重がどうして
転封されることになったのかが、気になりました。






1018ffe6.jpeg秋葉神社の奥にあった鳥居の一部と思われる石です。
誰が見ても『神社』とわかるような象徴的な存在である
鳥居ですが、写真のものはおそらく役目を終えたであろう
鳥居だと思われ、そんな鳥居に対して
「お疲れさまでした」という気持ちを込めて、
失礼ながら勝手に一枚撮影させていただきました。
 
e704772f.jpeg初めてのフィールドワークという事でかなり楽しみにしていました。
天気が悪いのが少し残念でした。
見て回った中で一番興味深かったのは浦島山です。
御神体が浦島太郎とのことで意外でした。




660aada0.jpeg天満宮の写真です。
石でできた亀の絵馬が奉納された経緯や
その絵馬に込められた意味などを
いつか調べたいと思いました。







9e75d392.jpeg京都市内には来たの天満宮があり、中に牛の置物があって
頭をなでると賢くなると言われ、たくさんの受験生の味方になっていました。
城下町の天満宮には牛がいない!
同じ菅原道真公を祀っているのになぜだろうと思いました。
しかしここの天満宮には珍しい絵馬が奉納されていました。
石でできた亀をあしらった絵馬というのは見たことがなかったので
すごく興味深い絵馬でした。
亀岡城下町散策マップには、明治初年に寺が廃止されたと書いてあるので
元がどんな形だったのかなどは分りませんが、近くに土居があったので、古くから城下町を見守っていたのだと感じました。
 
c31e9a5d.jpeg自分がコノハナ桜の写真を選んだ理由は、
日本でも数ヶ所でしか見られない貴重な桜だということ
とこれでもかなり散ってしまっているということに
ひかれたので選びました。
すごくキレイです。
いつか満開の所をみてみたいです。



6e45d435.jpegコノハナ桜は京都の亀岡と三重県にしかないらしいので
選びました。
あと花びらも多く、咲いている時間が長いのもあります。






61dd4ddc.jpeg昭和28年4月14日に出口直日師より発見されたもの。
ヤマザクラの原種とされるコノハナザクラ。
今から約60年前に発見されたものでも
大切に保管、管理されており
今年も半分散った状態でも、きれいな花を咲かせていたのが
素晴らしかった。
次見る時はぜひ満開でみたいものです。
 
2a00fd98.jpeg人生初の鍛冶の作業を見ました。
テレビでは見たことがありましたが、
生で見るのは初めてで貴重な経験になりました。
亀岡では片井さんだけということですし、
全国的にも鍛冶をする人は減っているので
このような場所はこれからも残すべきだと思いました。


f806fea8.jpegこの学校で知識を身に付けやってみたいことの一つに
失われたものや記録がないものや失われつつあるものを後世に伝える
ということをやってみたいと考えています。
今回はすたれつつある鍛冶屋を体験できたました。







72f105dd.jpeg農業を支えていた鍛冶屋が、今はたった一軒になっても
続けられていることをすごいと思いました。
鉄を溶かして形を作り、ナイフなどができるものを見ていて、
面白いと思ったのでこの写真にしました。
このフィールドワークで、鍛冶屋というものに
興味を持ちました。これから調べていこうと思います。





ee1b433d.jpeg片井鉄工所ですが、今はこの鍛冶屋しかないと聞き
時代の流れを感じました。
機械で作った方が楽ですが、あえて手がかかる方が魅力を感じます。
この写真では筏に使う釘を打っていました。
何百本と打ち続けるのはやはり飽きるものみたいなので
忍耐も必要な仕事だと、あらためて思いました。


dd1d91a7.jpeg今まで名前しか知らず、映像でしか見たことがなかった鍛冶場を初めて見て、
そして実際に火の中から出して、叩いているのを見ると
ただ叩くだけではなくて、時には慎重な作業もあり
一番印象が強かったので、この写真を選びました。




dc7a94c0.jpeg純粋に鉄を熱して曲げたり、延ばしたり、
加工するのを見てすごいなと思ったのと
先輩たちの話の中で、農具の鍛冶屋さんが、
農業を支えていることが
民俗の根本という話を聞き、今から学んでいくことで
大切なことだなと思いました。

8d3d5ec7.jpeg亀岡に来てはじめは自然がいっぱいで特に、あんなに大きな川を見たり山を見てすごく驚きました。こんなに自然と近いから、山を御神体として考えていることに納得しました。
あと、400年前の石垣を見られてとっても感動しました。
城下町を歩いてみて、細い道があって、町中に普通に寺や祠があることもビックリしましたし、あの黒瓦がとてもキレイな町並みで、あっていると思いました。
すべてがビックリで、見応えのあるフィールドワークになりました。
006ca849.jpeg 思ってたより高い石垣だったし、広くて驚きました。
下から三段目くらいまで四百年前のものを使っていると聞き、今でも残され使用されていることがとてもすごいと思いました。
四百年前の石には、積む際場所を指定するために数字が刻まれているそうです。
昔からのものがそのまま使われているということが素晴らしいと思いこの写真を選びました。






28d7f95b.jpeg丹波亀山城は明治十一年新政府の廃城令により取り壊されたそうです。
大本の1階の展示室には写真等により再現された模型があります。
石垣は約6メートル、建物部分は約25メートル、総高約31メートルはあったと言われています。
もし明治十一年に取り壊されていなかったとしたら立派な堀や亀山城が現存していたと思うととても残念です。






1ad4ead0.jpeg以前より石垣は人力で組み立てていたという知識はあったのですが、
実際に石垣を見てみると、その大きさに驚き
また、石垣の刻印が、運搬の際にマークをつけて自分の担当箇所をわかりやすくする
ためということも初めて知り、昔の人はすごいなあと思いました。
今度は別のお城の石垣も見てみたいです。




f793b5f0.jpeg1回生として初めてのフィールドワークであり、これから幾度となく足を運ぶことになる亀山の地を今日歩くことが出来たのは非常に楽しくもあり、色々な風景に興味を持たされた。まず、選んだ石垣であるが、昔からずっと年代を経て亀岡を眺め続けてきたことに心を動かされた。その後の亀岡祭の山、片井さんの京都で唯一の加治屋さんも、当時の文化を今に伝えている素晴らしい一点であると感じた。
この大学生最初のフィールドワークが今後のトリガーとなるだろうと思った。もっとこれから、様々な場所に行き、フィールドノートをいっぱいに埋めたいと思う。

923926fb.jpeg亀山城跡について
山全体が御神体。
石垣は元あった亀山城跡にそって、積み直されたもの。
この近くに明智光秀自身が手植えしたとされる大きなイチョウがある。
最近は薄くなったが、「丹波霧」と呼ばれる霧が有名。
 
39d62c22.jpeg鉾に興味があったから           
三ツ鳥居に興味があったから
かごめ唄との関係
ギリシャとの関係







87e12fdf.jpeg私が心に残ったのは浦島山です。
浦島を祀っていることと、そこは火の見櫓だったことに驚きました。
また、なぜ浦島なのか、謎だったので調べてみたいと興味がわきました。
子どもが少ないために今は、女性も手伝えるということで
いつかお手伝いもしてみたいと思いました。






a03d05c7.jpegどのような経緯で縁結びの御神体になったのか
いつ頃からそう呼ばれるようになったのか気になったから。









c9b7ccb2.jpeg浦島山です。
広く一般的に知られる民話で、浦島太郎の話かな。
その主人公である、浦島太郎が御神体として祀られている事に驚き
何故浦島太郎が祀られているのか、女人禁制であった事に疑問を感じた。







f9593c9d.jpeg浦島山は浦島太郎を御神体にしています。
人出が足りていないことから男の人でも女の人でも
手伝う事ができます。
そして亀岡祭には、舁山の浦島山が飾り付けられます。







0b079c03.jpeg自分の地元の祭の山鉾はもっと車輪が大きくて
横に出ていて、浦島山のような山鉾は見たことがなかった。
地元のは全部引き山で、舁山もあるというのは初めてでした。

ad83b8c2.jpeg蛭子山という名前は七福神からとっている。
七福神は聞いたことはあるが、詳しく知らないので
今後調べていきたいと思う。
浦島山も浦島太郎が関わっているので気になるところです。蛭子山の近くには常夜灯があり、火災にあわないように気をつけられていたそうです。
f03411ae.jpeg
鍛冶屋倶楽部の鉄を打つ作業を行っていた所にあった神棚。
やはり商いや火を使う作業には神様を祀るのだと思った。
どんな神を祀っているのか気になった。
(愛宕山のお札だろうの声)
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天神さんの左横にあった燈籠とその中に瓦が大切そうに置いてあって珍しかった。
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駒寄せ
町屋の表に巡らせた格子の垣です。人や馬などによって家が傷められないように取り付けられた柵です。
現在ではこれに代わってコンクリートや石などの塀等が使われていてなかなか見ることができないものです。
昔の町並みを感じさせてくれるものなので写真を撮りました。
煙出しも見つけてみたかったのですが、見つからなかったのが残念でした。


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